



別稿の<149ヶ月ごしのライヴ評>でも書いたが、『青白』は古くからのファンにとっては意外性に満ちた「新鮮」なライヴだったはずだ。その音楽性とキャラの性格上、必然的に「鉄板のお約束事」の数々が生まれ、それが難攻不落の<予定調和エンターテイメント>としての醍醐味を味わせてくれてたわけだが、自らその隙を突いていろいろ仕掛けてきた『青白』は、その意味でもスペシャルなのである。素敵なマッチポンプ、か。
始業式における校長先生の挨拶のように、当たり前に聴いていたオープニングSE“WORLD ANTHEM”ではなく、後にYOSHIKIの主題曲(!)となるロンドン・フィルハーモニー・オーケストラ演奏の“AMETHYST”が流れた瞬間から、誰もが胸を躍らせただろう。「今夜のXはなにかが違う」と――。
すると『青い夜』では“X”、『白い夜』では“Rusty Nail”が1曲目からぶっ放されるという、「スタートいきなり心臓破りの丘」展開で否が応でも盛り上がってしまう。脳下垂体置き去りの、反射的に分泌されまくったアドレナリン10万人分がせつないぞ。
そういう意味では、『青い夜』の本編ラスト曲“オルガスム”における5人全員横振りヘッド・バンキングの図も本当、久々だったはずだ。91年『Violence In Jealousy TOUR〜夢の中にだけ生きて〜』では既に行われてたかったと記憶してるから、3年振りの解禁になる。拝め拝め。
そして、翌95年以降X JAPAN東京ドーム歳末公演の「定番」となる<誰が何と言おうとここだけ謹賀新年っ>攻撃の初披露も、忘れてはなるまい。31日『白い夜』終盤の“オルガスム”で、例によってCO2客席乱入噴霧大爆走を終えたYOSHIKIが手にしたのは、大きな時計。ここで演奏が中断して、メンバー全員ミーティングの結果カウントダウン役に決定したYOSHIKIが、時計の針を無理矢理グルグル早回ししてハッピーニューイヤー1995!……ま、こんな我儘ならよしということで。ひとつ。
また、『青い夜』アンコール1曲目の“Rusty Nail”が、テレ朝『ミュージックステーション』で生中継されたこともある意味、見どころかもしれない。当日東京ドームにいた人にとっても、自宅でTVを観てた人にとっても。ちなみに、HIDEの衣装は凄いです(苦笑)。
ぶっちゃけた話、1万人いたら1万通りの想い出と共に「見どころ」は存在するわけで、そのメディアとしてX JAPAN『青白』ライヴを今こうして追体験できること自体が、とても素敵なことのように思えるのだ。
1994年。<コギャル>や<渋谷系が登場し、TVでは『進め!電波少年』『古畑任三郎』が好評で、「同情するなら金をくれ」が流行語だったあの頃。巷には“イノセント・ワールド”に“ロマンスの神様”に“恋しさとせつなさと心強さと”がやたら流れ、誰もがスノボやポケベルに夢中になっていた。そして、X JAPANもあなたもそこにいたのである――。


Xのライヴといえば長丁場が当たり前なのだが、その主たる要因(笑)はやはり、怒濤のソロ・パートにある。中でもこの『青白』は、普段は演らないTOSHIとPATAまでもがソロを披露したという、メンバー全員のソロ・パートが観られる「唯一」のライヴだったのである。実は。
おー、めでたいめでたい。
まずYOSHIKIのドラム・ソロは、アリーナ上空に出現した巨大なミラーボールがパカっと割れて回転しながら、どこどこどこどこ。相変わらず派手な男、である。ちなみにこのアイディアが生まれた理由は、「だってミラーボール好きだもん」。……。
一方ピアノ・ソロは、女性ヴァイオリニストとの二重奏をじっくりと聴かせる。ちなみに、「彼女」をオーディションで選んだのも演目の作編曲もただ1回のリハも、本番前々日の深夜。相変わらず<24 TWENTY FOUR>な男、である。
恒例
ちなみにHIDEが途中から唄に専念する分、ギター弾きまくりのPATAであったが、「面倒くせえからソロ・コーナーなんか演んねぇ」と言い続けてたわりには、まんざらでもない顔で弾いてる姿は必見。愉しかったのね?
TOSHIは、アコギを奏でつつソプラノサックス奏者と“Say Anything”を唄い上げる。誰よりも早くソロ活動を開始していたTOSHIらしく、
<ソロTOSHI>
の世界観がそのまま再現された。
更には、TOSHIがPATA&HIDEを呼び込み、
<ギターなかよし三人組>
と勝手に命名して披露した“ROSE OF PAIN”のアコースティック・カヴァーも、貴重な映像だろう。97年9月22日の解散表明から1ヶ月後にリリースされた、ライヴ・コンピレーション・アルバム『LIVE LIVE LIVE/TOKYO DOME 1993-1996』に音源だけは収録されてたものの、画が合体するとあのシリアスな原曲がなぜかほのぼのと聴こえる理由がわかるはずだ。
HEATHは『オペラ座の怪人』をモチーフに、仮面と絡みながら独自の
<おごそかメタル>
を展開。翌95年2月に発表されるソロ・デビューCD+VHS BOX『heath』収録の、“Daydream”を先行初披露した「気合い」も懐かしい。
とこうして書き並べてみただけで、五者五様の「自分の見せ方」が際立っているのがよくわかる。ただ一つだけ言いたいのは、彼らは好きなようにやってるように映るけども、あくまでも
<X>
という名の絢爛豪華にして重厚な鎧をまとった上での「自己表現」である、ということだ。
しかしかつての鎌倉武士が、機能性に多少難があろうが自分の美意識と心意気を見せつけるために、武者飾り満載の重装備を身に着けたのと同じように、5人のソロ姿にも
<だからこその美しさ>
を感じるのである。


まだリリース前の新曲が3曲も披露されたのが、1994年『青白』ドーム公演最大のイベントだろう。やはり。両夜とも、開演早々の3・4曲目に“DAHLIA”と“SCARS on melody(→リリース時には“SCARS”と改題)”、そしてアンコールのラストで“Longing〜途切れたmelody〜”が、10万人への「お歳暮」として届けられたわけだ。
とはいえ、“DAHLIA”は本番3日前まで歌詞がフィックスせず、「初日はTOSHIが♪ラララで唄うしかないかも」と笑えない笑い話まで飛び交ってたし、YOSHIKIがあまりに多忙なために新曲のみならず、5人揃ったバンド・リハはついぞできなかったのだから怖い。というわけで、前日のゲネプロが「蜘蛛の糸」として期待されてたのだが、それもまたYOSHIKIの転落事故で叶わず。結局、当日開演前のリハだけで押し切るという、XらしいっちゃXらしい背景を考えれば、やはり新曲が聴けたのは奇跡に近い。そんな状況だからして、新曲の出来が『青』より『白』の方がいいのは当然なのだろう。にしても、ほぼぶっつけ本番状態でこの演奏、さすがの底力か。
“DAHLIA”と“SCARS”に関して言えば、後のリリース・ヴァージョンとの違いが明白で、とても興味深い。前者はキャッチーだけどもラフ&ワイルド、後者はディープ&ヘヴィーなギター・サウンドが効いている、当時の最先端だったグランジ色が濃い
<新型X>
に映ったのを想い出す。しかしその後、YOSHIKIの病的なまでの「サウンド構築志向」「デジタル・レコーディング帝国化」によって、一分のスキもないデジ・ロックに仕上がったアルバム『DAHLIA』で聴かれた
<最終形>
は、痛々しいまでに「完璧」だったのだから。
この聴き較べは、後期X JAPANの構造を知る上でもかなり、面白いはずだ。
付け加えておくと、当日10万人にもれなく無料配布されたデモ・カセットは、A面が“Longing〜途切れたmelody〜”のデモ・ヴァージョン――ドラムが打ち込みで、ストリングスはYOSHIKIのシンセだ。尺もいくぶん短い。B面は、ロスでの練習風景をマイク1本でラフに録った「お遊び」音源――間違えて何度も繰り返される“DAHLIA”のイントロ、ハナモゲラ語(←死語)でTOSHIが唄ってる“SCARS”のAメロ、そして知る人ぞ知るX初リリース楽曲“Break The Darkness(←85年6月発表インディーズ1stシングル“I’LL KILL YOU”c/w曲)”がちょろっと聴こえたりする。
なにせデモ・カセットだから音質的にはかなりキツいが、今回『青白』完全版BOXの特典CDとして復刻されちゃってるので、これまたあれこれ「妄想」しがいのある資料的アイテムだと思う。
すいません。今回はつい音楽評論家してしまいました。


私にとってのXは、やっぱ“紅”なんだよなぁ。シングル・サイズなのにもかかわらず、生き急ぎ感とtoo muchなまでの美意識とドラマツルギーが詰まりに詰まった、まさに「どこを聴いてもX」な楽曲だからだ。思えば1989年の早春、“紅”を聴かされてプロモーションされた「あの瞬間」以来18年間、YOSHIKIと付き合い続ける羽目になったわけで、感慨と後悔が交錯する私なのであった。
さて今回の『青い夜』『白い夜』ライヴDVDにおいてもやはり、“紅”は見どころ満載だったりする。
まずわかりやすいところでは、一連のソロ・コーナー明けということで、ライヴ・タイトルにちなんで『青い夜』では青い衣装、『白い夜』では白い衣装をメンバー全員が身にまとって登場する点か。とはいえデザインはバラバラで、各々の個性がうかがえるのが可笑しい。特にHIDEの、「プリンスと演歌の境界線(本人談)」的なコスチュームは面白すぎる。その後、ステージ袖にいたスタッフから黒のツアー・ジャンパーを強奪して羽織ったことを考えても、HIDEにとっては
<人生最大の賭け>
だったんじゃなかろうか。うーん、おそろしい衣装だ。
また『白い夜』の“紅”では、途中TOSHIがアカペラで唄うシーンがある。お馴染みの演出としてつい見過ごしがちだが、しかし実は、29日の公演前夜の右腕負傷の痛みがピークに達して意識を失い、YOSHIKIのドラムが止まってしまったのが、その真相だったりする。つまり、YOSHIKIの意識が回復するまで、TOSHIが咄嗟にアカペラを繰り返して繋いでいたわけだ。X存命中、ありとあらゆるアクシデントに襲われまくり続けたTOSHIだからこそ対応できた、秀逸な「危機管理」能力としか言いようがあるまい。
やはりYOSHIKIとTOSHIの「絆」は、凄いのである――。


今でこそ東京ドームの 「ゆく年くる年」 はジャニーズ・オールスターズ公演が当たり前だが、それ以前の93年から97年まで、水道橋に除夜の鐘と共にこだましてたのは<気合い入れとXジャンプ>――まさしくX JAPANのカウントダウン・ライヴこそが、師走の風物詩だったのである。そんなこと知るはずもないよなぁ、いまどきのKAT-TUNファンの女子たちが。ああ。
1994年12月30日『青い夜』と31日『白い夜』。X JAPANにとって通算7&8本目の東京ドーム公演は前年の『新型エックス第一弾 日本直撃カウントダウン X JAPAN RETURNS』2daysに続く、2度目の年末総決算ライヴだった。
11月中旬から告知のTVスポットが流れまくり、11月21日にはセンチュリー・ハイアットで緊急帰国記者会見が開かれる。ライヴの後援には飛ぶ鳥落とす勢いのセガ・エンタープライズ(←セガサターンはどこに行った……)がつき、更に12月10日から31日までドーム隣りの後楽園ゆうえんち・ジオポリスでは、イベント『X JAPAN Days』が連日開催と、まさに謎のお祭りモード。
それよりもなによりも、当の本人たちのこの2日間に対する意欲がおそろしく熱烈だったことが、私にはとても印象深かったりする。実は。
92年8月25日、米ロックフェラー・センターでの記者会見で<X JAPAN襲名+海外進出+国内移籍+新ベーシスト・HEATH>を発表して以降、Xの表立った活動は非常に乏しかった。リリースも93年は「懸案」のミニアルバム『ART OF LIFE』とシングル“Tears”、94年にいたってはシングル“Rusty Nail”のみ。ツアーもなく、前述したカウントダウン・ライヴだけだったわけで、まさに仙人状態。にもかかわらず、香水やらランジェリーやらUFOキャッチャー用ぬいぐるみやらコンドームやらと、スピンオフ商品ばかりが世間を賑わせるのだから、「Xはどうなってんだ一体?」的な声が高まってもやむをえない状況ではあった。
ましてやTOSHI、HIDE、PATAのソロ活動は既にスタートしていたし、新メンバーHEATHのソロまで既に待機中――で肝心のYOSHIKIはというと、プロデュースや楽曲提供、単独でのライヴ・イベント参戦はあったものの、ひたすらロスに行ったきりオバケ……。
実際は、93年7月からニューアルバムのレコーディングは始まっており、同時に海外リリース用のアルバムも並行して制作中のXではあった。しかもYOSHIKIの<無謀な完璧主義>はいよいよ激しさを増し、英語の完全習得は言うまでもなく、弁護士やマネージメントの選択から様々な契約まで海外活動の基盤作りも、自ら動いて仕切る。したがってレコーディングの方も、もはやアーティストの領分から3千光年ぐらい飛び出して、それこそスタジオの手配から音のディレクションやミックスまで、「ディレクター兼プロデューサー」として緻密に濃厚に、そして納得いくまで突き詰めまくるわけだ。そうなったらもう、誰もこの男を止められません。
となると、他のメンバーは「YOSHIKI待ち」状態が続くわけで、ソロ活動するしかなかったりする。逆にYOSHIKIはYOSHIKIで、自らの怒濤の完璧主義が招いた結果とはいえ、自分1人がXを背負ってる状況にストレスを感じていた。そういう意味では、我々リスナー以上に本人たち自身が<「X」という名のバンド感>に飢えてたのが、1994年のX JAPANだったのである。
だからこそ、丸1年振りのライヴになるこの『青い夜』『白い夜』が、愉しくならないはずがないではないか。ねえ? この2日間の入場者全員に、8ヶ月後にリリースされることになる新曲“Longing〜跡切れたmelody〜”のデモ・カセットが10万本(!)、無料配布されたのもXらしい「遊び心」の賜物だろう。ライヴハウスならいざしらず、ドームでこんなことした奴いないもの。
だがしかぁーし! こんな爽やかで美しい話のまま進まないのがやはり、Xなのだ。前日29日のゲネプロ中に、YOSHIKIがステージから転落!!そのてん末を目撃した舞台監督が即失神した気持ち、察するにあまりあるわ。右上三頭筋断裂で絶対安静――翌30日、要は『青い夜』本番当日、「真」の緊急記者会見でマネージャー&トレーナーから「ライヴは決行するけども、最後までもつかわからない」声明まで出され、不謹慎ながら私は「ああ、俺が知ってるXが帰ってきたなぁ」としみじみ納得してしまったんだけども。
世界最強の<ところがどっこい>ロック・エンターテイメントは、何年経っても不滅なのであった。
それでも、『青い夜』『白い夜』はX史上五本の指に入る、「美しい」ライヴとなった。
とにかく<3年間遊んでたわけじゃねーぞ!>マニフェストの下、「来てくれた10万人を愉しませたい」「俺たち自身もXを愉しみたい」との想いが、ライヴのそこら中に溢れていたからだ。
これまで常に“WORLDANTHEM”がSEで流れ、男声ナレのメンバー呼び込みによって始まってたオープニングが、女声ナレをフィーチュアした“AMETHYST”に。
『青い夜』の1曲目がいきなり、ライヴ終盤かアンコールの定番曲でXジャンプのるつぼと化す“X”に。嬉しすぎて死ぬぞ5万人。
この年は“Rusty Nail”1曲しかニュー・アイテムがなかったものの、当時未発表の「新曲」を“DAHLIA”“SCARS ON MELODY(←後に“SCARS”に改題)”“Longing”と、実に3曲も披露。各々、肝心のCDリリースは14ヶ月後に22ヶ月後に7ヶ月後と、えらいことになってしまうのだけども。
『ROSE & BLOOD TOUR』以降久しく封印されていた、“オルガスム”における<5人全員横ふりヘッドバンキング>も、両夜共に復活。昔と違って誰もバキバキに髪を立ててない分、画的には違和感が漂うのもご愛嬌か。ひたすら懐かしい。
と定番を崩したり復活させたりで、「意外性」でオーディエンスを愉しませつつ、自分たちも「何やってもXなんだから」という確信に満ち溢れた仕掛けに、バンド自体の心が弾んでる感じが充分伝わってくるではないか。
更には、1人だけソロ・コーナーをやらないPATAを、HIDEが自らのコーナーに誘って“HIDEPATAの部屋”にしてみたり、TOSHI+HIDE+PATAによる<ギター仲良し3人組>が、よりにもよって“ROSE OF PAIN”をアコギ3本でセルフ・カヴァーしてみたりと、その「だって俺たちバンドだもんね♥」感はキュートですらあったし。
また、『青い夜』でアンコール1曲目の“Rusty Nail”が『ミュージックステーション』に生中継されたのに続き、『白い夜』は『紅白歌合戦』生出演のため、Xはライヴ終了後速やかにNHKホールに移動せねばならなかった。「じゃあカウントダウンできねえじゃん」なわけだが、“オルガスム”の途中でYOSHIKIが時計を抱えて疾走。『不思議の国のアリス』のウサギにしては、あまりに派手すぎるぞ君。あげく時計の針を勝手に進めて時間軸を2時間ばか歪め、ドーム内だけ無理矢理24時の力づくカウントダウン。いやぁ、やっぱりXだわ。
それにしてもXのライヴにTV生出演をオーバーブッキングするという、関係者の無謀な決断に当時の私は失神しそうになったが、今思えば両日共ライヴは見事にオンタイムで進行して、事なきを得たのだ。考えてみたら、各ソロ・コーナーの舞台転換の「間」も非常に短かったし、3時間半の長丁場とは思えない優秀なテンポ感もまた、『青い夜』『白い夜』のハイ・クォリティーを演出したはずだ。やればできるんじゃん! でも結局、この年だけだったのだけれども。わははは。
そんな中、一番印象に残ったシーンがある。
31日『白い夜』後半戦の“ENDLESS RAIN”が終わった次の瞬間、5万人の衆目が集まるステージ上でなにやらメンバー・ミーティング(!)が行われた場面だ。確かにXは「世界一のミーティング回数」を誇るバンドではあったが、さすがにこの光景はちょっとありえない。
その場では勿論その内容はわからなかったのだけれど、1週間ぐらい経った後だろうか、HIDEと呑んでて窺い知ることができた。実際にはセットリスト通り、“紅”→“ENDLESS RAIN”→“JOKER”→“オルガスム”→本編ラストの“X”と無事演奏されたが、実は“紅”の途中で、負傷した身体の限界を自覚したYOSHIKIから、「もう叩けないかもしれないから、もし“JOKER”終わって“オルガスム”のアタマのドラムを叩かなかったら、とばして“X”にいってほしい」との提案がなされてたらしい。うわ。
その場でTOSHIもHIDEも頭が真っ白になりながら、「OKOK」とYOSHIKIの背中を叩いて励ました2人の姿は、やはりバンドならではなのだ。
そういう意味でも、『青い夜』『白い夜』はX JAPANが<5人のロックバンド>だった最後の瞬間だったのかもしれない。だからこそ、今観ても美しい。
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